トーベ・ヤンソン生誕100周年記念「MOOMIN!ムーミン展」を松屋銀座のイベントスクエアで観た(〜5/6)。平日にもかかわらず会場は大勢の人で混雑していた。メインは「日本初公開作品約150点を含む約200点のオリジナル原画」ということだったのだけど、ヤンソンのモノクロのインク画は、言ってみれば印刷媒体でいかに有効に作品世界を表現するかを考えて編みだされた手法だろうから、原画を見たからといって、本の挿絵と比べてそれほど特別な印象がもたらされるわけではない気がする。混んでいなければまだしも、生誕100周年記念という謳い文句も考慮すれば、若干の期待外れな感は否めない*1。5年前の大丸ミュージアム・東京でのムーミン展のほうがヴァラエティに富んだ内容で、会場を立ち去りがたかった覚えがある。今回はむしろ物販コーナーのほうが展覧会よりも出品数が多いくらいで、ありとあらゆると言ってしまいたくなるほどのグッズで溢れかえっていた。それはそれで興味深く、けっきょく展覧会の図録は買わなかったものの、ポストカード3枚と一筆箋を1冊購入した。
ともあれ僕がヤンソンの絵に惹かれる大きな理由は(絵だけでなく文でも)、「客観」というところにあるのだと思う。子どもの頃から広い空間にぽつんと人物がいるような構図の絵が好きだったのだけど、ムーミンの絵にもそういった超越的な視点をもったものが多い(例えば)。客観といっても、もちろんヤンソン個人の経験や思想に根ざした客観であって、それが優しくもあり厳しくもあるヤンソンのまなざしの前提になっているように思う。その意味で、このまえ書いたエリック・ロメールのパンフォーカス的なまなざしにも近い(3月25日)。この客観が、ヤンソンを取り巻いていたフィンランドの自然や政治状況とどのような関係にあったのかを考えてみるのは面白いかもしれない。
おそらくヤンソンの線の確かさには、単なる技術的な要因だけでなく、こうした思想的な面も含んだ客観が関わっているのではないだろうか。また、今回の展覧会でもムーミン谷のジオラマ(制作=谷口千代)が展示されていたけれど、一般にミニチュア模型というものが現実を客観的に捉える手法のひとつであるなら、ヤンソンの作品世界はそれと相性がよいと言えるかもしれない(ついジオラマ化したくなってしまう)。5年前の展覧会に出品されていた、いくつかの物語のシーンを再現したジオラマの空間性は忘れがたい。
さらに空間の客観化という点では、アーレントの次の言葉とも響きあうように思える。

自由が発祥する場所は人間の内部──その内部とやらが何であるかはともかく──では決してありえないし、人間の意志でも思考でも感情でも決してありえない。それは人間と人間の間の空間にあり、その空間は相異なる個人たちが一緒に集まって初めて生起しうるものであり、また彼らが共生したままでいる限りにおいて存在し続けることができる。自由には空間があり、その空間に入ることを許される者は誰でも自由なのである。
───ハンナ・アレント『政治の約束』ジェローム・コーン編、高橋勇夫訳、筑摩書房、p.201

空間は誰か特定の人々によって占有されるものではなく、様々な人々との(あるいは自然との)相対的な関係のなかで成り立っている。

ムーミンの家族や仲間たちは仲がよいですが、ひとりでいること、つまりある種の自由をたいせつにしています。[…]スナフキンは放浪者で、すばらしい生きかたをしています。なによりもまず自由です。好きなときに出ていったり帰ってきたりします。かれはわたしの憧れの対象でもありますが、最近、わたしはちょっと疑っています。もしかすると、かれはひどく自己中心的な生きもので、しかもかなり甘やかされているのではないかと。ひとごみを離れてひとりでいるのは、ちっともむずかしいことではありませんから」
───トーヴェ・ヤンソンフィンランド国営放送のインタヴュー」1991年、冨原眞弓訳、『ムーミン画集──ふたつの家族』講談社、2009、p.60)

だれのために書くのか、という質問に、トーヴェは比喩で答えた。しいて特定の読者をあげよというのであれば、「スクルット」ではないかと。「スクルット」は造語で、「どこにいても居心地がわるく、外部または周縁にとどまっていて、小さくて、みすぼらしくて、途方にくれている」ひとたちをさす。
───冨原眞弓(無題解説)、『ムーミン画集──ふたつの家族』講談社、2009、p.96

なお、『建築と日常』No.2ではムーミン(所有/定住)とスナフキン(非所有/放浪)の対比を「建築の持ち主」特集の導入にしました。その巻頭言は下記リンク先にてPDFで公開しています。

*1:あとで知ったのだけど、秋からあらためて(ムーミンではなく)ヤンソンの展覧会が各地を巡回するらしい。こちらは期待できそう。「生誕100周年 トーベ・ヤンソン展 −ムーミンを生んだ絵と暮らし(仮)」 http://evento.jp/event/detail/2191