テレビで放送されるような卓球の試合では、選手が得点のつど大声を上げてガッツポーズするのが通例になっている。昔はそうではなかった気がするのだけど、いつ頃からのことだろうか。個人競技で相手との距離が近く、威圧的・挑発的にも見えるので、最初のうちはずいぶん奇異な振る舞いに思われた。一方で、得点は得点でもボールがネットや台の端に当たってイレギュラーに入った場合、そこでは「ラッキー!」とはならずに、得点者は申し訳なさそうに軽く手を挙げ、相手に礼を示す。自分が悪いわけではないにもかかわらず、である。たとえばバレーボールなど他の競技ではそういう場面でも喜びを隠さないだろうから、普通に得点した場合の大げさなガッツポーズとの間にことさら不思議なギャップが感じられる。そっちはよくてこっちは駄目なのか、と。はたして卓球におけるそうした慣習というか新しい伝統とでも呼べそうなものは、どのように生まれ、定着したのか。日常の感覚から隔てられたその所作が、コミュニティ固有の文化の感触を伝える。
ところで大相撲では力士が声を張り上げたりガッツポーズをしたりするのはもちろん、単に顔の表情であってさえ、感情を表に出すことを戒められている。大相撲は古くからの礼儀作法に厳しく、閉鎖的・封建的と言われもする。ところがそういう力士も、取組に負けて支度部屋に引き揚げるとき、NHKのレポーターが話しかけるのを平気で無視する。より自由な雰囲気があるサッカーやテニスでも、レポーターの問いかけを無視すれば印象が悪いのではないだろうか。しかし大相撲では「こちらの問いかけにも終始無言でした」というように当たり前のごとく扱われ、まったく問題視されない。これもまた固有の文化だろう。ある場所で当たり前でないことが、ある場所では当たり前になっている。

手嶋悠貴『映画:フィッシュマンズ』(2021)を横浜ブルク13で観た。フィッシュマンズの映画というより、佐藤伸治を不在の中心としてテーマにした映画という印象。佐藤は「他人に任せる人」だったという言葉の一方に、晩年の楽曲は佐藤によるデモテープで(他のメンバーの創作を介さず)ほとんど完成されていたという言葉。その矛盾のなかで生きた佐藤伸治という人がよく感じられる映画だった。
関係者への長時間のインタヴューから過去映像も含めた膨大で緻密な編集まで、とても丁寧に作られているのだろう。パンフレットに「これは音楽映画ではない」という言葉があったけれど、それでよかったと僕は思う*1。へんに作家性を出して「映画」にしようとするわけでもなく、「映画」だの「音楽映画」だのといったジャンルの枠組みを先に立たせずに、対象と真摯に向き合い、それに即したニュートラルで素直なあり方。それはデビュー当初「レゲエの魂がない」と批判されたというフィッシュマンズらしいあり方と言えるかもしれない。
しかし佐藤伸治がいなくなってから現在に至るまでのフィッシュマンズをどう位置づけるかについては、若い監督の主体的な意志が垣間見えるような気もした。172分の映画では序盤で原田郁子とハナレグミが佐藤伸治の歌を歌うことの恐れ多さみたいなことを語り、終盤に茂木欣一が「佐藤伸治のいないフィッシュマンズは聴かない、という人もいて全然いい」ということを言っていた。それぞれのシーンは全体構成のなかでそれなりに意図的に配置されていると思うのだけど、それは佐藤伸治がいたフィッシュマンズとその後のフィッシュマンズを曖昧なまま連続させるのではなく、はっきり分節すべきだという意識によるのではないだろうか。
パンフレットに収録された座談(茂木欣一×原田郁子×ハナレグミ×UA)では、UAが「私なんか、てっきり郁子やタカシくんや私が歌うシーンも出てくるのかなって勝手に思ってたけど、いっさい出てきやしない(笑)」と言っている。あっけらかんとした言い方だけど、そういう言い方でなければ(あるいはUAでなければ)口にできないような、わりとシビアな事実ではないかと思う。たしかにそうしたシーンを多く入れて映画をつくる道すじもあっただろう。むしろ今、実際の人間関係のなかでフィッシュマンズの映画をつくろうとすれば、そういう方向になるのが自然の成り行きとさえ言えるかもしれない。でもこの映画はそれをしなかった。フィッシュマンズを今も続けている人たちにリスペクトを持ちながらも、へんに気を遣って空気に流されることなく、自分に見えてくる実像をシビアに捉える。そういう確固とした創作の態度には、「ちゃんとやる」というのが口癖だったという佐藤伸治も共感するのではないかと思った。関係者を一堂に集めて佐藤伸治やフィッシュマンズについて語ってもらうのではなく、あくまでひとりひとり個別に(数回にわたって)話を聞いたというのも、特定の状況に依存することなく、より深く個人に根ざした言葉を引き出し、より客観的に対象に迫ろうとしたからだろう。それが密でありながらも風通しのよい、この映画の基調になっていると思う。


*1:といって演奏シーンが少ないわけではない。ほどよいバランスで充実している。これはまさに映画館で観るべき映画だった。大きなスクリーンの効果というよりも、音の迫力と、公共的でありつつも個として没入できる空間性。

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どだい、マネには風俗画というものは存在しないのであって、これがたとえばモネとの決定的な違いである。マネはけっして「物語らない」。[…]個人を写しているのでなく、《タイプ》を描いている[…]マネは人生と自然の偶発的なものを保存する《挿話》の画家でなくて、《典型》の画家なのである。

吉田秀和の「マネ頌」(1972年)を、そこで言及されている20点ほどの作品の画像をネットで確認しながら読んだ。初出時(『世界の名画』第5巻、中央公論社、1972年)はどうだったか知らないけど、手元の『吉田秀和全集 10』(白水社、1975年)では口絵に図版が2点載っているだけだから(うち1点はモノクロ)、こういうところにはITの恩恵を感じる。

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たしかにこの絵(1879年の『ラテュイユ親爺の店で』)の中には、すでにルノワールのすべてがあるといってよいだろう。もし1874年の小傑作『団扇と婦人』の中にマチスのすべてがあるといえるとしたら。

このルノワール/マチスの指摘がどこまで妥当なのか僕には察しがつかないけれど、「すべてがある」とまで言うのはなかなか大変なことだ。しかし吉田秀和がこう書くのなら、きっといい加減なことではないのだろうと思う(このような信頼のある人を権威と言うのではないか)。
この「Aの中にはすでにBがある」みたいな言い方は書き手にとっても読み手にとっても魅惑的で、そういえば昔、僕が内田百閒を好きになってから漱石を読んだとき、百閒にあるものはすでに漱石の中にあるのではないかと思ったことがあった。「Aの中にはすでにBがある」という言い方が面白く感じられるためには、単に先行するAが偉大であるというだけでなく、後進であるBが十分な個性を確立していないといけない。

去年「多木浩二と建築写真──三人寄れば文殊の知恵」を一緒にやった大村高広さんの博士論文の公聴会がZoomで開かれていたので、軽い気持ちで覗いてみた。

論文のタイトルは「現代建築の平面形状における幾何学性と尺度──建築空間のアロメトリー性について」。しかし事前に本論を読んでおらず、その状態で発表を聴いてもなかなか取りつく島がない。やはり博士論文は甘くない。そんなところでひとつ素人的に浮かんだ疑問は、もろもろの分析や考察によって導き出された結論は、はたして大村さんにとって驚きや歓びがあるものだったのか、それともこの研究を始めようとした動機のところですでにある程度の見通しがあり、その直感を公にする意義を感じてこの論文が書かれたのか、どちらかと言うとどちらなのだろうかということ。そこがこの論文を捉えるとっかかりになるような気がする。
たとえば今日の公聴会でも発言されていた坂本一成先生の博士論文「建築での図像性とその機能」(1983年)は、その時すでに坂本先生が建築家として10年以上活動していたこともあり、その活動と連続するものとして、どちらかと言えば後者だったと思う。どちらでなければいけないということはないとしても、どちらか(あるいは両者の複合)ではあるべきという気がする。

たとえ世の中に何が起ろうとも、そのすべてが自説を裏づける証拠であるとみなしうるような歴史観に、いったい何が欠けているのかとポパーは思索を始めた。

上記、カール・ポパー『歴史主義の貧困──社会科学の方法と実践』(久野収・市井三郎訳、中央公論社、1961年)の訳者あとがきの一節。「歴史に宿命があるという信念はまったくの迷信であり、科学的方法もしくは他のいかなる合理的方法によっても人間の歴史の行末を予測することは不可能であるという主張」(p.1)をする本書のテーマには特に興味があるはずなのだけど(ゴンブリッチの『芸術と進歩』(2019年3月11日)でも、ポパーを「私の友人」(p.91)とし、本書に肯定的に言及している)、内容は実際の敵対勢力を想定しながら1930年代から50年代にかけてのヨーロッパの時代状況・政治状況と深く絡みあっているようであり(巻頭には「歴史的命運という峻厳な法則を信じたファシストやコミュニストの犠牲となった、あらゆる信条、国籍、民族に属する無数の男女への追憶に献ぐ」という一文が掲げられている)、またかなり理論的な記述であることもあってか、どうも入り込めず、表面を読み飛ばしてしまった。いずれまたこの本を開いてみることがあるとしても、とうぶん先になりそうな気がする。

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写真を撮りながら近所を散歩。上の場所はまえにも写真を撮ったことがあった(2020年12月27日)。このあたりは坂が多く、比較的入り組んだ土地で、歩いていると目の前の景色にハッとさせられることが少なくない。ここもその顕著な例のひとつ。だれでも目を奪われると思う。道路の向きや近景と遠景のバランスのためか、空間/視界がシークエンスとして展開するので、あるいは動画と相性がよいかもしれない。


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ここは高台にある公園で見晴らしがよく、なだらかな傾斜の芝生が広がっていて開放性が高い。それがこの空間の特徴だと思うのだけど、ただ、開放性というのは(身体的であり全方位的であるためか)なかなか写真に写しづらい。だからこういう「絵づくり」をして視覚に特化させたほうが写真の強度はでる気がする。リアリズムとしての倫理的な引っかかりを感じつつも、これはこれで嘘というわけではない。しかし。

みずしらずの人による写真集のランキング(順不同?)。号外『建築と日常の写真』がすごい並びに入っていた。

編集者という肩書きを掲げていることもあってか、そもそも写真作品として観られることがあまりない気がするので、なんであれ写真に関心の深い人が評価をしてくれるのはうれしい。普通こういうランキングでは選者の名前や選評の内容、あるいは投票者の数が大きな意味を持つだろうけど、ここにはそのどれもない。しかし「好きな写真集」として他に挙げられているタイトルを眺めてみると、なんとなしにその評価を信頼できる(手に取ったことがない写真集がほとんどであるにもかかわらず)。僕には好きな写真集を25冊も挙げることはとてもできない。
『論語』より、子曰わく「知之者不如好之者、好之者不如楽之者」(それを知る者はそれを好きな者には及ばない、それを好きな者はそれを楽しむ者には及ばない)。前に「好き」ということの意味を考えたことがあった。

考えてみると何かを「好き」であることはわりと重要なことだったなと思った。つまり、外部の評価や世俗的・政治的な関係性などとは無縁に、作家や作品そのものと自分とが固有に結びつき、親しんでいること。例えば僕のことをある程度知っていて、川島雄三のことも知っている人ならば、「まあ、長島さんは川島雄三好きそうですよね」と結びつくのではないかと思う。それは僕にとってはすこし恥ずかしいことでもあるのだけど、何かを「好き」であることは、大げさに言えばその人の生き方までそこに投影される。むしろ何かを本当に「好き」であることが感じられない人はあまり信用できない気がするし(とりわけその人が芸術や学問に関わっている場合)、何かを「好き」である人ならば、その「好き」がお互い重ならなくても、楽しく話ができる可能性がある。

ホン・サンス『逃げた女』(2020)を新宿シネマカリテで観た。脂が乗り切ったというべきか抜け落ちたというべきか、ともかくまた一つの達成だと思う。
主人公が訪れる3つの建物はどれもモダンなデザインで、空間的な個性は薄いはずなのだけど、それぞれの知人の家あるいは領域を訪ねているという感じが強くする(内部と外部の明確な対比が印象的)。そこでの会話や出来事はとりとめないながらも人生の意味を暗示するかのようであり、いつものような操作的な時空間の構成はなく、ただ静かに流れる時間を豊かに描くことで映画を成立させるような境地に至ったのかと思っていたところが、ふいに抑制されたドラマチックな展開を見せはじめ、全体が新たに深められた意味によって記憶のなかでゆるやかに再統合される。映画のトーンやテーマは(ロメールというより)少しベルイマンを思わせる。
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『大豆田とわ子と三人の元夫』(6月3日6月12日)、録画しておいた第10話を観た。最終回。傑出して良いドラマだった。がこの回だけで言うなら腑に落ちないところもある。これまでの物語を想起させる様々な「反復と差異」が仕組まれていると思うのだけど(それぞれ同性の幼馴染みをもった娘と母、男尊女卑の社長と西園寺君、港の詐欺師と初恋の人…)、それらは観念的な形式として認識はできるとしても、体験的なレベルでどれだけ響いてくるものなのか。(ホン・サンスの映画によく見られる)「反復と差異」という形式の目的として僕が想像しうるのは、自己と他者、親と子、偶然と必然、過去と現在といった対立的な構図から世界のあり方を浮かび上がらせるようなことだけど、少なくともそういう体験は得られなかった。現代の社会的・時事的なトピックをストーリーに組み込むこと自体が達成目標になっているような最近のテレビドラマ(ほとんど観ていないので偏見もあるかもしれない)に対し、このドラマはそうした骨組みにきちんと肉付けがされ、もはや骨が先か肉が先かも分からないほどすべてが一体化し、物語が生きているところに見どころがあった。けれどもこの最終回だけはどうも印象が異なる。
あるいはなぜか1話分に要素を詰め込みすぎて、尺が足りていないということかもしれない(最終回だから特別に放送時間が長くなるということもなかった)。とわ子の両親の話は第9話までそれほど語られることがなく、物語の厚みがないままいきなり重要な意味を担わされたように思えるし、素人役者で妙な実在感があったセクハラ社長に比べて西園寺君は実体がないまま簡略的・記号的にストーリーに奉仕する。初恋の人との再会も、有機的にかたちづくられたこのドラマのなかで、いかにも取って付けたようで据わりが悪い(第9話からの流れにおいて、とわ子を浮ついた恋愛体質と感じさせるこのエピソードは本当に必要なのか)。ところでラストはあらためて3人の元夫が並列になってとわ子と向かい合い、『大豆田とわ子と三人の元夫』というタイトルに戻ってくる感じがあった。しかしだとすると、とわ子─かごめ(幼馴染みの親友)─八作(一人目の夫)の3人で生きていくという第9話の感動的な決断はその意味を維持できるのか。それともその決断を相対化するようなものとしてのラストだったのか。すとんと腑に落ちない。第1話は録画し損ねたけど、ともかくいずれまた通して観てみたい。


このドラマをめぐっては、古谷利裕さんが毎回ブログで細かい分析や感想を書かれていた。

全体として僕とはだいぶ視点が異なるものの、いつものように色々と教えられるところがありつつ、第9話の時点で書かれた「小津や成瀬が現役だった時、彼らの映画を封切りで観に行っていた映画好きの人たちがリアルタイムで感じていたのは、このような驚きだったのではないか」()という指摘は、僕も似たようなことを感じていた(僕の場合は特に小津安二郎だけど。このドラマが保守的で平凡な真っ当さを描き、「現代において善く生きるということとは?」ということをテーマにしているのではないかと書いた意味でも)。それは一般に映画よりも「芸術的価値」が低く見られがちなテレビドラマにおいて、しかし『大豆田とわ子と三人の元夫』は小津や成瀬といった「歴史的巨匠」の作品と並ぶ豊かさをもつのではないかという意味が一方にあり、もう一方には、今では「歴史的巨匠」として権威的に位置づけられる小津や成瀬も、同時代においてはよりポップな存在で、多くの人々により直接的に響いてくるものだったのではないか(テーマ的なところや形式的なところ、普遍的なところだけでなく、同時代ゆえに細部から全体までが名状しがたいものとして)という意味がある。

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新刊『Almost, Not: The Architecture of Atelier Nishikata』(Leslie Van Duzer著、ORO Editions)。出版社のサイトでは「between an architectural monograph and a magic instruction book」みたいな紹介がされていたので、ヴァン・デュザー氏のテキストはかなり尖った論考かと思いきや、建築家の思考に寄り添い、作品自体を細かく丁寧に解説するものだった。アトリエニシカタの西尾さん自ら訳した私家版の和訳冊子があってよかった(写真右)。この冊子は今のところアトリエニシカタの公式オンラインストアのみの頒布らしい。

彼らの仕事において、建築は、それ自体の物質的存在を覆い隠す力があるとみなされている。ちょうどマジックにおいて、マジシャンが扱う小道具が、ショーの最中にふっと姿を消してしまうように。建築は、身体とその空間的想像力を完全に引きつけると、物理的境界や視覚イメージを凌駕するのだ。(和訳冊子、p.5)

推察するにこのテキストは、ミースやアドルフ・ロースなどの近代建築を研究する(かつマジシャンを兄に持つ)著者固有の視点に立ちつつ、アトリエニシカタとの十分なコミュニケーションにも支えられているのではないだろうか(実際のところは知らない)。
たとえば小説や絵画や映画などでは、ある作品の批評を書くに際して、作家本人に「ここはなぜこうなっているんですか?」とか「ここはどういうふうに作ったんですか?」とかいったことを確認するのは野暮であったりナンセンスであったりゲームのルール違反のように思われているきらいがあるけれど、建築の場合、作品の存在に対して一人の主体が認識あるいは経験できることは本質的に限られているし(たとえば私は見学に訪れたある建築を、すべての時刻で、すべての天候で、すべての季節で、すべての年齢で、すべての性別で、すべての立場で経験することはできない)、狭量な批評の自律性にこだわることなく、聞ける話は聞いたほうがいい。それこそ吉田健一が言うように「正確な線が引ける」と思う(昨日の日記参照)。ある種の歴史研究でも、作家本人の死後のほうが自由に論じられるという考えがあるけれど、作家の死によって封印されてしまうものも軽んじられない。作家本人が特定のセルフイメージを強要してくるような場合はまた難しいとしても、お互いに無私の協力関係が結べるようならば。

下記、ポール・ヴァレリーをめぐる吉田健一(1912-77)と吉田秀和(1913-2012)の言葉。二人の吉田がつながった。

 しかし繰り返して言うと、それがただ簡潔だけなのではない。つまり、複雑なことも、優雅なことも、あるいは切実なことも、すべて的確に、過不足なしにその言葉を与えられているから、我々はその効果とともに、いっさいの無駄を避けることに決めた当のヴァレリーの意志を受け取って、そこに美は美でしかない、あるいは、鈴懸けの木と書いてあれば、そこに鈴懸けの木があるだけの、我々の精神をこの上もなく慰めてくれる世界が出現する。ヴァレリーを読んで、芸術などというのはどうでもいいことを知った。正確な線が一つ引ける方が、芸術の仕事という、何なのかいっこうにはっきりしない世界に頭を突っ込んで迷子になるのよりも上であり、それを教えられて以来、その線を引くことに熱中した。

  • 吉田健一「ヴァレリー頌」1960年(ポール・ヴァレリー『精神の政治学』吉田健一訳、中公文庫、2017年)

 私が考え、その考えたことをのべることについて、いちばん学んだのはデカルトとヴァレリーのいろいろな本からである。なかでもヴァレリーは、その考えるということが芸術を相手とした場合、どうなるかについて急所を伝えてくれた。

  • 吉田秀和「一冊の本」1964年(『吉田秀和全集 10』白水社、1975年)

デカルトとヴァレリーに共通の重要な概念として理性というものがありそうだけど、それは両者を実際に読んだことがない者には硬く冷たいものに思えるのに対し、読んだことがある者には柔らかく血が通ったものに思えるのではないか。(ほとんど読んだことがない者の想像)

ある種の文章(批評や論考)を批判するときの「単なる感想文でしかない」という言葉にいつも引っかかってしまう。「感想」とはそんなに位の低いものなのか。ある事物について何かを「感じ」「想う」、その経験を固有の言葉にできたなら、それだけで相当の価値があるだろう*1。むしろ「感想」の土台にもとづかない文章がいかに多いか。そのことこそ問題だと思う。

私は、批評家に自分の心を曝けだせといっているのではない。そんなものは、包みかくしているのが礼儀であろう。だが、包むべき心のない文章をかいてみても仕方がない。いや、かくすもかくさぬもない。その心を造型する働きが文章というものなのではあるまいか。

  • 吉田秀和「『ラインの乙女たちの歌』──ある梅雨の午後に」1964年(『吉田秀和全集 10』白水社、1975年)

*1:「単なる感想文でしかない」と批判される文章がこういう意味での「感想」たりえているかどうかは定かではない。